このサイトの歴史

このサイトの歴史です。


1996年5月25日「東京競馬場の鉄人」サイト公開
世界で最初の東京競馬場案内サイト。

当時は競馬のサイトの先進地帯は岩手競馬であって、中央競馬のホームページはあまりなく、ましてや競馬場案内のホームページなどは皆無であった。そういう意味では、競馬場案内ページの先駆けとも言える。ホームページ黎明期の事もあって、各種ホームページ案内本に多数掲載された。

Yahoo側から、競馬場カテゴリーの登録依頼が来て、最初に競馬場カテゴリーとして登場した案内ページでもある。Yahooに登録依頼をするのではなく、Yahoo側から登録依頼が来るのは昔は名誉な事であった(笑)当時のトップバナーはこんな感じ。(これ見て背景のレースがわかった人はすごい。勝ち馬の勝負服は普通はわからないので)タイトルはもちろん「料理の鉄人」にちなんで。ロゴもそれに合わせたデザインにしている。

東京競馬場の鉄人バナー

こちらのページから遅れること1年、1997年にJRAのオフィシャルサイトはできるのだが、競馬場の案内が出来るのはしばらく後になる。最初にできあがった案内ページはほぼ当ページのデザイン、コンテンツの丸パクリであった。(色使い、ソースまでそっくり)以後、オフィシャルサイトにないコンテンツをこちらが増やす度にオフィシャルサイトがそれをコピーするというイタチごっこがくり返される。(食べ物屋の紹介、日別入場者数、指定席の売り切れ時間、ニーズがありそうなものを作ると数ヶ月後にはコピーしたコンテンツがオフィシャル側にできるという繰り返し)

1999年~2001年にかけて、経費削減によるJRAのサービスの悪化が進み、建物立て替えれば中身はどうでもいいだろいうというハード偏重、ソフト無視型の現在のサービスの形に移行してきており、サイトの位置づけも、競馬ファンの立場としての意見を伝える場にだんだん変わってくる。元々アクセス数が多いからか、JRAも頻繁にサイトを見に来ており、時折提示される意見については具体的に対応がされるものも結構あった。

2005年からはテキスト直書き→Dreamweaverときたホームページ作成方法をMovableTypeのブログタイプに変更し、よりタイムリーに情報を配信する方向に移っていく。

2008年の段階でほぼ毎年通りのお決まりの内容を伝えるだけになりつつあったので、一旦コンテンツの作成を停止し、別の方法を模索するようになる。この時代になるとオフィシャルの案内サイトは充実しており、個人サイトで一般的な情報提供をしても結果的に同じ内容をより細かく書くだけという状態になっていた。案内部分については単にオフィシャルの詳細サイトになってしまっていて、サイト来訪者のニーズにほとんど応えてないページになりつつあった。もはやこの段階では静的内容でオフィシャルサイトより細かい案内の内容のページを作る意味は無くなったと思われる。以後、その場での動的な内容を具体的に報告したり紹介したりする方向を模索することになる。

2011年よりFacebookにて活動を再開。ファンサイトとしての東京競馬場を立ち上げる。(この際名称によけいなものをつけない方がいいとのことで、「東京競馬場の鉄人」ではなく、単なる「東京競馬場」(のファンサイト)として登録。こちらもオフィシャルサイトよりも数年早い登録になった。(オフィシャル側はその区別のためか、「JRA東京競馬場」という名前を使っている)

2014年、サイト側も再び再開。その際、東京競馬場の鉄人という名称から東京競馬場コンシェルジュという名称に変更する。以後Twitter/Facebook/HPを連動させて情報を発信し今に至る。オフィシャルには無いリアルな情報や現地に行かないとわからない情報などの提供と、ファンの目線で主催者に対して意見を伝えるページとしての位置づけで情報提供を続けていきたい。

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Posted by コンシェルジュ